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へきるちゃんの生脚スリスリ








かわいいなぁぁっ!こんな美少女の生のあんよをスリスリできるなんて!
私は特別な存在なのだと感じました。

もっと具体的に言うと、ドールの脚を触ることでは無い。

私の脳内に存在する、今まさに想像しているへきるちゃんの脚を、想像によって触れているという想像のことである。

だから私だけの特別なのである。


ドルフィードリームは、ヘッド以外、ボディは同じである。

へきるちゃんのあんよをスリスリしても、
他のMDDのあんよをスリスリしても、そこに物質的な違いは無い。


一人ひとりの心の中に存在するキャラクターに触れることができるのは、
一人ひとり、その人だけにしか行えない。

私でさえ、他の人の想像するへきるちゃんのあんよに触れることはできない。

また、私がどんなに へきるちゃんのあんよ画像をうpしても、
他の人に 私のへきるちゃんのあんよを触れさせることは出来ない。














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私は「交流を主目的とした場合、ドール趣味はなじまない」と言っている。


ドール趣味は一人で行える趣味であり、
「可愛い」とは主観に基づく感情だからである。

「可愛い」「好き」という、人の感じるセンスには個人差がある。

ドールは選ばれてお迎えされている。
つまりお迎えされなかったドールが居る。

その人のセンスによって「好き嫌い」「可愛い可愛くない」が無意識に選別されている。


嫌いじゃない、というのはお世辞である・・・
本当に好きならば、お迎えに至るのである。











私がドールをお迎えしたのは2005年だった。
その時はツイッターもまだポップンミュージッククラスタで、ドールオーナーは居なかった。
一人でドルカツを8年続けた。
フォロー30フォロワー30程度だった。

2013年になってから、ドールクラスタに入りたくなった。
地道なドルカツはマネジメントによって成果をあげ、
今やフォロワー3000を越える規模になった。




だからこそなのである。

私が誰かと仲良くするということは、誰かと仲良くしないということである。
誰かと仲良くしないということは、誰かから仲良くされないということである。


ドールオーナー同士が仲良くできるときは、お互いのドールがお互いの「可愛いの知覚の範囲内」である時のみに限られる。
何故なら、ドールはドールオーナーにとっての尊厳そのものだからである。






私の規模で、私が交流のために行動を起こしたら・・・大きいグループが生まれてしまう可能性がある。
私にはそんな器は無い。
私は全知全能では無い。
全てのドールをお迎えできない。
全ての人と仲良くできない。

私に交流のための活動はふさわしくない。

だから、特に仲が良くなりそうになった時、意識的に距離をとらなければならなかった。




成果だけがお互いの絆でなければならなかった。
成果だけが、お互いの絆でなければ、それは唯の仲良しグループにすぎない・・・
ドールである必要が無くなってしまう。

ドールである必要がなくなれば・・・ドルカツの意義が失われる。



私は自分の中に存在する理想少女を表現する手段として、ドールは絶対に欠かせないからだ。
そして、成果をあげるべく強みを集中するには、ドールに集中する必要がある。


私の主目的は、「これからもドルカツをする事」つまり自らに特有の機能を果たす事である。

明日も、私の存在が許されるためである。










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